皆さん ご存知ですか?

 

皆さん、福岡県老人クラブ連合会建立の供養塔が「高野山(和歌山県高野町大字高野山)」にあるのをご存知ですか? 

建立の経緯は以下の通りです(過去の資料より抜粋) 

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 <昭和59531日 第23回県老連総会において、かねてより懸案であった老人クラブ会員の物故者供養塔建設が決定された。場所は上記の「高野山」で一坪半の墓地を永代使用することとなった。建設資金は、全額、会員の寄付によることとなり、添付の趣意書により、昭和603月、当時の会長田中義忠氏 他14名の役員の連名で、それぞれ担当地域を設けて募金を行った> という事績が残されています。

 最終的には、目標額500万円を上回る6178780円の募金が寄せられ、昭和60923日に落成したそうです。(当時のお金にするとかなりの金額の寄付ですね。驚きました。)

 高野山になぜ??と思われる方も多いかと思いますが・・・・昭和59年の高野山関連の事績を拾っていくと、色々な書類が確認できました。その中で当時の趣意書を読んでいくと(別紙添付をご参照下さい)、老人クラブの素晴らしい先輩方の思いが詰まった「供養塔」だということを感じることができ、私も胸がいっぱいになりました。

 供養塔は当時の会員の皆さんだけではなく、後輩の老人クラブ会員の皆さんのご冥福をお祈りするために建てられたものです。昔はこの経緯を知っている先輩会員の方々がツアーを組んで高野山にお参りに行っていたようですが、だんだんとこの「供養塔」の存在を知っている方が少なくなり、ツアーを組んでという参拝も無くなってしまったようですが、現在も3年毎に高野山へ皆さんからお預かりした過去帳を持って参拝へ行っています。

 【以下趣意書より抜粋】

 「高野山は宗派の異なるにも拘らず、法然上人・親鸞上人をお祭りしてあり、そのほか有名人・福岡黒田藩を始め多くの藩主の墓地又はキリスト教徒の墓地も存在し、宗教を超越した聖地であります。この聖地高野山に建立する慰霊碑は、老人クラブ創立以来ご活躍いただいた会員物故者並びに今後不幸にして黄泉のくにに旅立たれた方々を過去帳に記入のうえ御霊を合祀し、ご遺徳を忍び安らかなご冥福をお祈り申し上げるためのものです」

と書かれています。               

高野山には皆さんご存知のとおり、歴史上の有名な人物や芸能人のお墓が沢山ありますが、なんと、県老連供養塔のお隣は薩摩藩の島津家のお墓です。周りには石田三成や明智光秀、上杉家や伊達政宗などの武将が祀られています。場所も通路沿いでとてもいい場所に建てられています。

「供養塔」の存在をご存じでない市町村老連におかれましても、老人クラブ活動にご活躍いただいた会員物故者の過去帳をご提出いただいて、高野山へお納めできればと思っています。

 是非、単位クラブの皆さんへも「高野山供養塔」のことをお話下さい。高野山へ行かれる方もいらっしゃると思いますので、その際に、福岡県老人クラブ連合会の供養塔もお参りしていただければ嬉しく思います。

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